TRIZは、旧ソ連海軍の特許審査官であったゲンリッヒ・アルトシュラー(Genrikh Altshuller:1926~1998)が、様々な特許を調べるうちに発見した一連の発明法則です。
ここでは、TRIZが体系的で、構造化された思考方法の科学であることをご紹介します。
1 TRIZの意味
TRIZは「トゥリーズ」と読みます。ロシア(旧ソ連)生まれの言葉で、「発明的問題解決理論」という意味のロシア語を英語で表記(発音)した場合の
頭文字をとったものです(図表1-1)。ロシア語の頭文字で書くならば“ТРИЗ”となります。それぞれの単語を英語で表現して並べ替えると
「Theory of Inventive Problem Solving」となるため、英語でTIPS「ティップス」ということもあります。
Теория(Theory) [ロシア語(英語の意味)]
Teoriya [英文字での表記]
Решения(Solving)
Resheniya
Изобретательских(Inventive)
Izobretatelskikh
Задач(Problem)
Zadatch
|
図表1-1 TRIZ(発明的問題解決理論)の表記
*出典:『開発設計のためのTRIZ入門』
|
2 TRIZの誕生
TRIZは、旧ソ連海軍の特許審査官であったゲンリッヒ・アルトシュラー(Genrikh Altshuller:1926~1998)が様々な特許を調べるうちに一連の法則を発見し、
これらの法則を技術問題の解決に役立てようと、実践的な方法論としてその基礎を築いた理論です。彼とその同僚たちが当初約40万件、のちに20数年間費やして
250万件ともいわれる膨大な特許をもとに、体系的で、構造化された思考方法の理論を構築したものです。
3 アルトシュラーの着想
アルトシュラーは、1926年に旧ソ連のタシケントで生まれました。そして、若干14歳のときに最初の発明をしたといわれています。このような子供のころからの
才能を活かすべく特許審査官の仕事につき、20歳の頃にはTRIZの理論の基礎を構築したといわれています。
彼は、創造的な革新や応用技術にはその基礎となる汎用的な原理があるのではないかという仮説を立ててTRIZの研究を始めました.そしてこの原理を発見し、
体系化に成功すると、さらに発明のプロセスを予測的なものにすることができるのではないかと考えました。つまり、膨大な特許を整理分析した結果から
帰納法的に体系化した理論を、個々の現在直面している問題に適用すれば、従来のアプローチでは解決が難しかったような発明的問題を見事に解決できるのではないかと考えたわけです。
これは試行錯誤によって創造的成果を得ようとする従来の方法を改め、一連の法則を手法化し体系づけてより科学的に創造思考を進めようというもので、
いわば革新的な発明を天才のひらめきから汎用的な方法論へとハードルを低くしたといえるでしょう。また他の問題解決手法のほとんどが方法論だけで
展開しているのに対し、TRIZでは汎用的な方法論に加えて膨大な数の特許事例や科学知識を知識データベースとして兼ね備えていることも大きな特長といえます。
4 TRIZの歴史と進化
TRIZの歴史は大きく2つの時代に分けることができます。クラシカルTRIZの時代とコンテンポラリTRIZの時代です。
4.1 クラシカルTRIZ時代(1946年~1985年)
1946年、弱冠20歳のG.アルトシュラーは、発明の科学の研究に着手しました。2年間、数多くの特許を本格的に調査した結果、幾つかの発明の法則を見つけ出し、
その一連の理論をTRIZと名づけました。その後、弟子達と膨大な特許の調査を更に重ね、TRIZの基礎理論を築きました。
●この間の主な業績:
・技術進化の8つのパターンの原形
・物質―場分析と76の標準解
・40の発明原理、分離の原則他
・30冊を超える図書、論文多数
4.2 コンテンポラリTRIZ時代(1985年~現在)
ソ連崩壊(1985~1986年はペレストロイカ)後、TRIZ関係者がアメリカに渡り、企業を興したり、コンサルタントとして活躍を始めたりしました。日本を含めた西側諸国への普及、
コンピュータとの融合・発展、問題解決の方法としての確立、エンジニアリングとしてTRIZ諸手法の統合化などが進んでいます。
●この間の主な業績:
・クラシカルTRIZ諸技法の深耕と体系化
・クラシカルTRIZの事業、組織、経営などへの適応
・問題解決の方法としてのシステマティックなアプローチの方法
5 TRIZの日本への伝来
アルトシュラーがTRIZ研究の第一線を退いた1985年以降、特にペレストロイカを機に旧ソ連がロシアほかの多数の国にわかれてからは、アルトシュラーの弟子たちによって
米国をはじめとする西側諸国に伝えられました。そして特に米国において、コンピュータ技術との融合が進んで飛躍的な発展をとげました。日本には1996年に、
米国を経由したものが発明的問題解決理論として紹介されてきました。ここでいう発明的問題とは、技術者が現在持っている技術、知識では解決することが困難な問題で、
それが解決できれば特許となるような技術的問題を指しています